人の内面に二面性があるのは当然です。内心でどんなに不道徳なことを考えたとしても、
内心の自由は憲法でも保障されています。しかし、それは行動に移さないことが条件であり前提です。
ですから、他人を誹謗中傷する行動に移すことはどんな理由があるにせよ、絶対に許されることではありません。
そこで、女子プロレスラーの木村花さんとお母さんの響子さんの勇気ある行動を受けて、考えてみました。
『木村花さん』
テレビ番組に出演した女子プロレスラーの木村花さんがSNS(会員制交流サイト)で、
匿名性を隠れ蓑にした心ない誹謗中傷を受け続けた結果、花さんは自らの命を絶ちました。
『匿名性の卑劣さ』
花さんの母親、響子さんは、最愛の娘を失っただけでも悲しい精神状態だったのに、花さんが亡くなった後にも、
「地獄に落ちなよ」、「あんたの死でみんな幸せになったよ、ありがとう」と言う、
まさに人として信じられない卑劣な投稿による誹謗中傷を受け続けました。
『SNSの匿名性』
自分の名前を明かす事なく、名前が特定されないSNSの匿名性を悪用して誹謗中傷を続けた投稿者は
一人ではないのです。他の投稿者よりもっと傷つけようと、誹謗中傷の言葉はより過激さを増したのです。
木村花さんとお母さんの響子さんを誹謗中傷したのは一人だけではないのです。
『遺族の心情』
卑劣な非難中傷を続ける匿名の投稿者に対して、花さんのお母さんの響子さんは、
花さんと自分の尊厳のために立ち上がりました。
「遺族の心情を傷つけた」として損害賠償を求めた訴訟を提起したのです。
『訴訟に立ちはだかる壁』
SNSの投稿者は匿名の蓑を着て、人が苦しむのを見てほくそ笑む卑怯者です。
花さんと響子さんの尊厳を取り戻すための訴訟提起ですから、
お母さんは何としても投稿者を特定する必要がありました。その投稿者を特定するための苦闘が始まりました。
『ツイッターの光と闇』
今や誰もが気軽に毎日のように利用するツイッター。誰もが自分の思いや悩みを打ち明け、
同じ悩みで苦しんだ人たちが励まし、アドバイスを書いたり、名前も顔も知らない同士が助け合うのを光とするなら、
根拠もない噂やデマを流し、またその噂やデマに乗っかり、ターゲットになった人を追い詰めていく。
こうしたSNSの利用の仕方が闇です。
『SNSの利用者への警鐘』
響子さんは、投稿者を特定するための大変な苦闘が始まりました。
しかし、ツイッター社に、投稿者の情報開示を求め、ついに投稿者を特定することが出来たのです。
そしてついに、5月19日、裁判所は、投稿した男性に賠償金の支払いを命ずる判決を下しました。
『投稿者の不誠実は最後まで』
私は母親の響子さんが投稿者が特定されていなかった時、「娘の尊厳を守る」として活動を始めた当初から私は、
この判決を心から願い、待っていました。
木村花さんだけでなく、命を落とした若い人たちの事件がこれまで何度も報道されて来ました。
そうした報道を見聞きするたびにSNSの危うさを感じていました。
木村花さんが亡くなった後、「地獄におちなよ」とか「あんたの死でみんな幸せになったよ、ありがとう」などと
ツイッターに投稿していたこの投稿者を提訴することで、
同じ様な人を傷つける投稿を繰り返している者たちへの警鐘になることを期待しました。
『姿を現さない投稿者の本質』
木村花さんのお母さんは「遺族の尊厳」を取り戻す裁判を通して、
投稿者が行ったことがどれだけ人の気持ちを傷つけるのかを理解し、
花さんへのお詫びの一言でも期待されたと思います。
ところが、この投稿者は、弁論には一度も出廷せず、書面での反論もしませんでした。
この投稿者は、またもや、木村さん母子の尊厳を冒涜し、期待した人たちの願いをも裏切りました。
『何を思い、何を感じているのか』
判決が出された今、この投稿者が人として何を思い、人として何を感じているのか、
私はその心の内を知りたい気持ちでいっぱいです。
この投稿者に人間らしさを微塵も感じられないことが悔しくてたまりません。
怒りの感情さえ沸々と湧き上がってきます。
『木村花さんのご冥福を祈ります』
人として最後まで不誠実な態度を取り続けた投稿者に、気持ちは本当にすっきりしません。
最後に、木村響子さんに心からの敬意を表します。そして、木村花さんのご冥福を心からお祈りします。
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