私にとってなくてはならないものの一つが、『日本国憲法』です。
太平洋戦争で、日本が無謀な戦争に突き進み、国民は多大な犠牲を被りました。
私の伯父は、中国戦線に送り込まれる前の休みに新屋敷の実家に帰宅しました。
ちょうどその時、祖父(亀八)と両親(覚・美須乃)は、母の実家、豊野村に疎開していました。
熊本市の大空襲は豊野村からも空をあかね色に染めている事で確認できたそうです。
両親は翌日、宇土駅から新屋敷まで歩いて行ったそうです。
新屋敷には実家のほか貸家も数軒あったそうですが、全部消失していたそうです。
両親は伯父(猛)を探し回ったところ、隣の防空壕の中に、
隣の家の防空壕の中でお隣の家族と一緒に焼け死んでいる伯父を見つけたそうです。
実兄(伯父)の無惨な姿を見つけた時の両親の気持ちは想像も出来ません。
父は、伯父をトタン板に乗せて火葬、荼毘に臥したそうです。戦時中でなければ、
誰もこんな体験はしないでしょう。
しかし、日本国民は、70年経っても輝きを失わない、貴重な宝物を手に入れました。それは『平和憲法』です。
障害がある私であっても、あるがままの「存在」が認められ、万人にとって、
人としての基本的な「人権」や「権利」が認められている『平和憲法』。
その憲法の草案を作った「ベアテ・シロタ・ゴードン」さんのパネル展がパレアであります。
この若い女性がベアテ・ゴードン・シロタさん。当時の日本が男女平等ではない現実を知り、
この若さで憲法制定に関わり、男女平等の規定が盛り込まれました。
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